国境に架かる橋part2

こんにちは、4年のエビ豆です。

あれっ・・・、前回から誰も更新していない(汗)。そろそろ何か書きましょうよ、春旅行も終わったわけだしnee,;D

さてこの度私はいよいよ卒業と言うことでこれが最後の更新となります。またしょうもない更新ですが、しばしお付き合い下さいませ。

今回も前回に懲りず、またまた国境の橋のお話。ただ前回は完全にヘリテージと化した橋でしたが、今回はまだまだ現役バリバリ(というかまだ出来たばかり)の鉄道橋、いや正確には道路併用橋です。というわけで、もうわかる人にはわかってしまうと思うのですが、タイ/ラオス国境に架かる友好橋を紹介いたします。


続々と夜行列車が出発
今回も旅の始まりはバンコクから。ただ前日に寝台の予約を取った(69列車NongKhai行き)ところまさかの満席。しかもノンAC、座席車共々売り切れの様子。いつも前日に取ってもたいてい取れていたのに・・・。しかし満席では仕方無く、列車を1本早め77列車NongKhai行きに変更。まあこちらは取れましたが、この列車オール座席のしかも近郊用DRC(←デラックスロマンスカーじゃないよ,,,)というトンでも列車。


今宵の宿
普段ならバンコクHua Lamphong駅には発車時刻のとうの前から列車は止まっているのに、全く入線の気配なし。だが遅れの表示も無いので、そのうち来るのだろうと待っていると、発車時刻の5分前かそこらにステンレスのキハ20モドキが堂々10連近くを連ね(ちゃんと数えておりません、スミマセン)ようやく入線。当時長旅の中盤で、さすがに疲れがピークに達しておりまして、ギリギリまでホームで立たされたのも相まって、目の前に現れたブツ切れ近郊ディーゼル車にイラっとしたのは言うまでもありません。せめてデッキが付いていれば!!それはさておき悪夢のような77列車の旅がスタートしました。最も2等ACを取っておいたのでリクライニングシートであり、幸い進行方向向きであったので、3等のボックスの比ではないのですがね。キハ58/20シリーズの長大編成の写真を眺めては、昔は良かったなぁなんて考えていた自分が阿保らしくなりました、何馬鹿なこと言っていたのだろうと。まあ、けたたましいディーゼルエンジンの騒音も他所に疲れていたおかげで、いつの間にか寝てしまいましたけど。


やや短くなったような気がするステンレスキハ20
翌朝・・・、こういうときに限って遅延しないんだよなぁ。6:10、ほぼ定刻通りNongKhai到着。いよいよお目当ての国境越え列車への乗り換えなのですが、国際列車の発車時刻は9:00。

これから乗る列車
本来の乗り継ぎ列車は69列車なのです。77列車に乗って来た旅行者たちは皆、駅前からTukTukに乗り換え国境へ向かい、国際列車を待つのは私のみ。先ほどのDRCもバンコクに折り返してしまうと、本当に一人と野良犬だけに・・・hahaha ただその後バンコクへ向かうと思しき爺様が現れまして。もっとも英語による意思疎通もままならず、お互い何を言っているのかわからない状態・・・。それでも爺様は譲らずひたすら話しかけてくるもんですから、まあ良い時間潰しにはなりました。日もようやく登りまして、駅の売店も開き、トイレが解錠される頃、駅前の唯一の店舗である食堂群もオープンしたので、そちらに朝食へ。だいぶ市街地からずれているようで、食堂が無かったらロクな飯にありつけなかったところでした。ちなみにこの後、まだ時間があり、TukTukの運転手たちも、「列車はまだ来ないからこっちで行こう」と言い寄ってくるので、「じゃあ友好橋の見物だけして駅に戻る」と返すしたのですが、どうも理解してくれないようで交渉決裂。こっちは往復運賃を積むと言っているのに、商魂たくましく無い運転手たちです・・・。

NongKhai駅

駅前食堂で朝飯

さて、ようやく8時になりましてThanaleng行き国際列車の発券が開始。といっても窓口に向かうのは私だけですが・・・。ただ当初乗車予定であった69列車が到着するとおそらくバックパッカーたちがわんさか押し寄せてくると思われるので、先行していてある意味正解だったのかもしれません。
8:25、定刻なら69列車が到着の時間ですが到着の気配なし。TanaLeng行きは友好橋通過時の道路封鎖の時間も絡むので、接続がどうなるのか前から気になっていました。

69列車の到着
8:45、遅れていた(といっても微々たるものだが…)当の列車が到着。なおこの列車、寝台が取れないものなるほどご納得でありまして、ほとんどが座席車で組成(日本の中古車は連結なし)されておりました。壊す前に要らない寝台車、譲渡しましょうよ!!軽く撮影を済まして、一足先にイミグレへ。案の定窓口は行列になっていましたが、夜行からの乗客が全部乗り換えるわけでもなく、現地の人も旅行者も多くがTukTuk等に乗り換えて行きました。何と言ってもTanaleng行きは本日2両(ガイド本やその他旅行者のブログや話を聞くと3両というときもあるようなのだが)なのでイメージでは正にかつての関ヶ原越えであり、その様相を呈するのではないかと心配しておりましたが、さほどのことでも無いようです。ただ大荷物で立ち席は勘弁と、ややフライング?でイミグレに回りました。

イミグレと国際列車の発着ホーム
イミグレもほぼ顔パス状態ですんなり出国印が押されまして、通過。しかし何故か欧米人の通過には異常に時間がかかるというのがセオリーでして、列車の発車する頃には9:20を回っておりました。大抵ビザも取る必要も無いし、こういうとき日本人て便利だなぁとつくづく思います。


車内(3等車)

この区間専用の特別塗装 青白ツートンでは無〜い!!
さていよいよお目当ての国境を超えるキハ20もどきであります。そう、このNongKhai〜ThanaLeng間の国際列車は何を隠そう、国鉄の香りプンプンの日本型車両、しかもステンレスキハ20ではなく、初期の鋼鉄製バージョンなのです!!近郊用DRCのほとんどはすでにステンレス車に取って代わられていますが、地方でときおり、かなり草臥れた姿で見かけるこのキハ20もどき。それがタイとラオスを結ぶ国際列車に大抜擢されたのです。製造銘板こそ既に無くなっていましたが、どうでしょうこの車内。どこからどう見てもキハ52にしか見えない・・・。これで今から国境を越えるというのですから不思議な気分です。


ガラガラなリクライニングシートに改造された2等車
道路封鎖の時刻はその日の状況次第で柔軟に対応出来るようで、列車は25分遅れで発車。蓋を開けてみれば3等車こそそこそこ乗っていますが、2等車はガラガラ。これでは減車されるのも頷けます。単純に検査中なだけかもしれませんが。運転士はタイ国鉄の職員がそのまま乗務し、車内にはラオスの警備員らしき人が巡回していましたが、平和なもんで別に何を拘束されるということもありませんでした。列車はいよいよ友好橋へ。1994年に完成したこの友好橋ですが、2002年から鉄道の運行が開始されました。なお橋梁上を含め、駅間は全て単線です。道路上に入るときには多少減速するのかと思いきや、そのままのスピードで道路上に割り込みまして、かなり迫力がありました。この間、橋の両側で自動車は足止めされているのです。ちょっとした優越感が味わえます。


メコン川を越える

橋の途中で国旗が変わりまして、ラオス入国!!

再び足止めされている車を横目に見ながら道路とはお別れし、ThanaLeng駅を目指します。ラオスの大地にいよいよ上陸したわけですが、特に変化は無く、現状の使用状況にしては異様に広い構内にお出迎えされ、ThanaLeng駅到着です。

ラオス到着

停車中のキハ20もどき

この先レールが延びることはあるのか!?

時刻表上はここまで15分を要していますが、実際は10分もかかりませんでした。そっけなかったなぁ、本日のお目当て。駅の作りもそのままタイ国鉄という感じで、ラオス入国のイミグレを別に通らなくてもそのまま駅の外に出れてしまうという・・・、いい加減な国境でした。ThanaLeng側もイミグレ通らなくても列車に乗れてしまうような作りでしたけど。まあここでちゃんと処理していないと後々面倒になりますので、ちゃんとアライバルカード貰って、入国スタンプも押してもらいますけどね。しかし今回も渡ってしまえば、本当にあっけない国境越えに終わりました。


何もない駅周辺
なおThanaLeng側ですが、NongKhai駅前以上に何も無く、というか無の荒野でありましてVientinan市内に行くには列車の到着を今か今かと待ちわびていたタクシーを頼りにするしかありません。構内をなどを撮影しているうちに乗り合いのタクシーなどは皆出発してしまいましたが、駅から出てこない変人が居るということで(?)、ちゃんと自分の分の足も確保されておりました。勿論それをありがたく利用させていただき、市中心部を目指したのでした。

この先しばし鉄道とはお別れです